東海道五十三次・各宿場の関係者が集い、宿場文化の伝承や、宿場間の交流を図る 「東海道シンポジウム」。
第24回目となる吉原大会が10月8・9日に開催され、そこで挨拶をする、という身に余る栄誉をいただきました。主催の吉原宿の皆様の、ありがたい計らいです。 吉田宿から岡崎宿まで走った後のトンボ帰りなので、夜の懇親会からの参加です。 会場の「ラ・ホール富士」は、いなせな法被姿の方々の熱気・熱気・熱気。 大きな拍手に驚き、ぎこちなく壇上にあがった僕。 僭越ながら、ここまで走ってきた実感を申し上げました。まず 「観光資源として『四国八十八ヵ所』に負けない魅力があると思った」こと。 「ただ残念なのは、宿場によって温度差があり、盛り上がる所はどんどん盛り上がっているのに、絶滅寸前の所もある。日本橋から三条大橋まで、一つの観光地として捉えてほしい。そうすれば旅人共通の、『道が分かりにくい』 という印象も改善されるのでは?」 アルコールがすでに入っている状況なのに、多くの方が頷かれ、拍手をしてくださいました。 たくさんの方と知り合うことができました。 こちらは、走り始めてまず気に入った 品川宿 の皆さん。 「古い家並みなどはほとんど残っていないのに、なぜか(良い意味で)古さを感じました」と感想を述べたところ、 「それが僕らの目指す街づくり。そう感じてくれたのなら、とても嬉しい」 「住人は、祭りのために生きてるようなもんだから。 祭りの時、ぜひおいで!」と言ってくださいました。訪ねていこうと思います。 こちらは遠路、滋賀県からお越しの皆様です。 貫禄十分のお歴々に、こんな頼みは失礼なのですが・・・ 回れ、右! 水口宿(みなくち。僕はミズグチ)の皆さん。 「来たらウチに寄りな」と言ってくれたのは、地元では誰もが知ってるというお寿司屋さん「や満平」のご主人。 伺いますとも、もちろん! ほぼ地元、府中宿の磯部さん。静岡の高校の先生です(その高校には、10年ほど前にコンサートで伺ったことがあります)。 磯部先生、個人的にはビックリの話を教えてくれました。お母さんから聞いた話だそうですが・・・。 8月に訪ねた静岡市・宇津ノ谷。その時、そこのおじいちゃんから聞いた、地元観光スポット「明治トンネル」の終戦直後の秘話。「戦争が終わって帰ってきたら、明治トンネルの中に山と積まれた実弾。でも聞いてみたら1発も使われなかったらしい。撃てば軍事施設があるのが敵に知られる。きたるべき本土決戦に備え、温存の道を軍は選んだ」・・・。 磯部先生がお母さんから聞いた話というのは、時系列ではその直前になるのですが、なんと明治トンネルの中で、零戦が組み立てられていたというのです! 静岡市内に軍事工場があり、空襲を回避するためです。 いまでは大型観光バスも来る、集合写真にピッタリの観光スポット。ガイドブックには、「文明開化のロマン」と書いてあります。しかし、こんな顔もあったのですね。 磯部先生は、「街道には、悲しいことも含め、様々な歴史がありますね。大切に残さないと」 軍事工場のその後について伺ったところ 「工場は、まだありますよ。今は平和に、エアコンと冷蔵庫を作ってます」 その12・府中~島田 「重くても軽くても、それぞれの歴史」 ・・・・・・・・・・・・ とてもとても有意義な時間でした。 セッティングしてくれた富士市まちの駅ネットワーク・久保田副代表に、深く感謝申し上げます。別れ際に撮ったツーショットは、なぜか写ってませんでしたけれど(苦笑)。 10/9 静岡新聞朝刊
by toukai53
| 2011-10-13 19:19
| 旧東海道
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